永井 壯吉
1879年(明治12年)12月3日~1959年(昭和34年)4月30日
本名は永井 壯吉(ながい そうきち)だった。ペンネームをつけた理由は女と関係があるに違いない。中学校の頃荷風が瘰癧という病気になって入院してしまった。その時、ある看護婦に一目惚れしてしまった。看護婦の名前は「オハス」だったから、永井は近いものを考えた末に、荷風と言う字を選んだ。「荷」と言う字はオハスと言う植物を表す字の一つだ。
•家族との関係はいつもあまりよくなくて、祖母に育てられた
•18歳:中学校を卒業して、第一高等学校を受験するが不合格
•20歳:落語家の弟子になった。しかし父の反対で落語家修行を断念した。
•20歳:家の本を売り捌いた金で遊郭へ入り浸るなど、
•21歳:歌舞伎劇作者の門下となった
•22歳:雑誌記者になる。9月、同社を解雇。フランス語の初歩を学ぶ。年末ゾラの作を読み感動する。
•23歳:父の勧めで渡米
•26歳:ニューヨークに出、翌月からワシントンの日本公使館で働く
•28歳:銀行リヨン支店に転勤
•29歳:銀行をやめた後、2か月ほどパリに遊ぶ。7月、神戸に到着。8月、『あめりか物語』を発表。
なぜならば荷風は自分の伝統的な文化を守る国をほめて(ポーランドも記載した!)、考えずにアメリカを真似する日本を批判したからだった。
•31歳:慶應義塾大学文学科、森鴎外の推薦により、教授に就任。5月、雑誌『三田文学』を創刊、主宰した
•33歳:よねと結婚
•34歳:父の死後まもなく、ヨネと離婚
•35歳:八重次と結婚
•36歳:八重次と離婚
•37歳:慶應義塾を辞め、『三田文学』から手をひくこととする
•38歳:日記の執筆を再開
•63歳:文化勲章受章
カロリナさん 荷風を愛し、研究されていることを、同じ荷風愛好家として嬉しく思います。
返信削除とても詳しくお調べになっていますが、この年譜の冒頭で些細な誤りがありますので、気になりましたので指摘させていただきます。以下の部分です。
>看護婦の名前は「オハス」だったから、永井は近いものを考えた末に、荷風と言う字を選んだ。「荷」と言う字はオハスと言う植物を表す字の一つだ。
「小説永井荷風伝」で佐藤春夫はこう書いています。
>「病床にあって壮吉は彼の看護婦であったお蓮(れん)という女をはじめて思慕し、後年文学に志を立てるに及んで、壮吉は永井の姓と調和させ、またお蓮の名に因(ちな)んで雅号を荷風と名づけたというのである。荷というのは蓮(はす)のことだからである」
この「蓮」は a lotus のことですね。日本の発音では「ハス」ですが、当時の日本女性の名前としては中国音にもとづく音(おん)読みで「れん」となるのがふつうです。人がよびかけるときは「お蓮」となり、これは「おれん」と読まれます。「オハス」とは読みません。
またa lotus そのものをさすときは「ハス」だけで、「オハス」と言いません。
また漢字の「荷」はもともと「蓮」の意味です。日本では「か」とも読みますし「はす」とも読みます。
ですから先の文章を日本人が分かるように直すとすれば、
「看護婦の名前は「お蓮(れん)」だったから……。「荷」という字は「蓮」と同じ意味をもつ字だ。
ぐらいになるでしょうか。
分かりにくいかもしれませんが、ポイントは一つ、若い看護婦の名前は「れん」。植物は「はす」と読まれるということです。
荷風愛好家のひとりAkiraより