荷風の座右の銘
「まことに色の世の中なれば兎に角戯れ遊ぶべし。人間わずか五十年と言えど四十からはぱっとも遊びにくし。その内も十七八までは何の心もなく世をくらせば差引 残り二十二年程なり。それさえ半分は寝て過ごせばわずか十一年なり。それも悉く通い詰にする人あらんやうもなれば、よく遊んでからが、高が五十年の中に丸 十年とは遊ばれぬ人間世としるべし。」
快楽を一番大切にした荷風は若い頃から欲情を抑えられなかった。
十六歳の時そのように書いた:
十六歳の時そのように書いた:
”その頃からさまざまな欲情の発動を感じ始めたのだ。”
吉原は荷風の楽園になった:
“素人の女性を口説こうとすれば面倒な勇気や準備、手続きが必要になってくる。しかし『吉原』に行けばコトは簡単だ。“
荷風にとって芸者と遊女は普通の妻より正直な女だった。
自分の規則を守った。。。
”僕は若いときから一種の潔癖があって、
1。人の前で酔払はない事、
2。処女を犯さない事、
3。素人の女に関係しない事。
此の三箇条を規則にしている…“
子を儲けたくないと思い、必ず避妊具を使用していたといった。
自分の子供を持たなかったけど養子が一人いた。
『父荷風』という本を書いた永井永光だ。
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